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日本ヴァーティゴレコード その壱

世界的な和モノブームが、いよいよ日本に上陸か?そんな様相になってきました。
日本のロックは世界に相手にされない。私達は永年そんなコンプレックスに苛まれてきましたが、今や世界的に注目されているのが「Sukiyaki」世代以降、昭和ニッポンの…ロック?
マニアックな海外のロックファンにとって日本文化は明らかに異質であり、それはそれはイカレたありえない世界。妙に欧米化した最近のJポップに比べ東洋の神秘全開のロックの・ようなものは、例えば私達が普通の英国人は聴かないようなマイナーな英国ロックを愛でるように…日本のコアなロックファンである私達すら、聞いたことのないようなマニアックな和モノポップを追い求める海外の音楽ファンを急増させています。
以前あるレコード店主が「日本のレコードの良さがわかっていないのは日本人だけだ」と仰っていましたが、和モノレア盤が大量に買い付けられ海外に流出する状況の中、漸く保守的なロックファンの中にも和モノを見直す動きが出てきました。
その中でも、絶えず海外のロックファンから常に注目を集めてきたのは、世界最高音質の日本ビクタープレスによる日本で唯一レーベルカラーを全面に押しだした異邦マニア垂涎のプログレッシブレーベル、日本ヴァーティゴレコードでしょう。
意外と英国ヴァーティゴのタイトルはスラスラ言える人でも日本ヴァーティゴの僅か約20タイトルを思い出せる人は少ないようです。
英国、そして世界のプログレに慣れ親しんだ耳にとっても実際日本ヴァーティゴのタイトルは充分な訴求力を持っています。初めて聴くプログレ人は「こんなにマトモなロックのアルバムが日本にもあったのか」と驚くことでしょう。80年代の日本人プログレが生理的に受け付けない人でも「日本人でも、やれば出来るんだ」と感心することと思います。
実は当時も極めて保守的な本邦の洋楽ロックファンは日本人ロックを馬鹿にしており日本人ロックの市場は非常に狭かったわけですが、その中でフライドエッグやスペースバンドは最も高い人気を誇っていました。その後もマキOZやRCが世間一般の評価とは別に日本の王道ロックファンから高い支持を受けていくわけですが、歴史が何処でねじ曲がったのかフライドエッグやスペースバンドを支持した日本の王道ロックファンからは、ポップ、フォークとして全く相手にされなかったハッピーなんとかが日本のロックの祖という評価が定着してしまったことは多くの洋楽ロックファン、若い日本のロックファンにとって本当に良い昔の日本のロックとの出逢いを妨げる大きな障害となっています。
ここで、はっきりと言っておきますが、日本にロックを根付かせたのは、ハッピーなんとかでもミカなんとかでも絶対にありません。日本にロックを広めていったのはジュリーとかまやつとつのだ☆ひろです。そして海外に日本最高のS.S.W.としてその名を今も轟かす孤高のblind singer長谷川きよしを忘れてはいけません。
日本ヴァーティゴレコードより渦巻きレーベルで発売された邦楽アルバムで確認されているものは19枚、その他オムニバスが1枚、そしておそらくスペースシップのみで発売されたかまやつとつのだ☆ひろのベスト盤が1枚づつ存在します。日本ヴァーティゴではおそらく75年初めまで渦巻きが使われており、その後短期間だけスペースシップが採用されたのち同年夏から邦楽アルバムに関しては順次フィリップスレーベルに移行しています。その為、渦巻きよりスペースシップがレアと思われますが渦巻きで出たタイトルの後期プレスにスペースシップ版が存在するかは定かではありません。
当時日本フォノグラムではダブルジャケットの内側に歌詞を印刷もしくは別に歌詞カードを添付する装丁を多く採用していましたが、オイルショック時期の一時的コスト対策としてシングルジャケに変更しジャケ裏に歌詞を印刷する簡易な装丁を採用します。その為、ダブルジャケとシングルジャケが両方存在するタイトルがあります。また価格変更に伴いレーベルの移行、品番の変更が頻繁に行われており全容を把握することが非常に困難になっています。
そして帯ですが初期は被せタイプの為、帯付きはレアであり帯に切り込みをいれないとジャケットを見開き出来ない為帯美品は激レアとなります。後期タイトルは普通の帯が付いています。
また、邦楽シングルも20タイトル前後存在しますが初期のプレスはセンター穴がそのままアダプター無しで再生出来、センター部分を折り取ればドーナツ盤となる仕様となっています。カンパニースリーヴは初期が青、後期がピンクになります。
そしてFX3004長谷川きよしFX3010つのだ☆ひろの4曲入り7インチLPが存在しますが、このセンターラベル(渦巻き面)にEP用を(誤って?)使用したモノとLP用を使用したモノとがあります。
日本ヴァーティゴレコード邦楽アルバム最初のタイトルは72年5月リリースの長谷川きよし『いにしえ坂』であり規格品番はFX8600番台がヴァーティゴの邦楽アルバム専用に充てられています。

FX8601 長谷川きよし『いにしえ坂』

日本ビクター時代よりフィリップスレーベルの花形看板アーティストであった長谷川きよしは確かな腕前のラテンギターを弾きジャズボッサなフレーバーに満ちたバッキングを従え高い歌唱力で自作からカヴァー、独自解釈のトラッドまでセンス抜群の選曲でオリジナリティ溢れる世界を歌う。日本フォノグラムがビクターから独立してからは、いよいよ金看板としての比重が高まっている。
日本フォノグラムでは当初フィリップスレーベルを中心に展開し他にフォンタナ、マーキュリーを細々リリースしていた。英国でヴァーティゴからリリースされた作品のうちグレイヴィトレイン、メイブリッツ、チャプタースリーなど70年以前のタイトルの日本盤はフィリップスレーベルで出ている。ようやく71年頃からブラックサバス、マグナカルタあたりが日本でも渦巻きレーベルのヴァーティゴレコードからリリースされるようになったが、そのリリースは極めて細々としたものであり現在では英国オリジナル以上にレアアイテム化して帯付き美品に英オリの数倍のプレミアムがついたタイトルもあるほど。何より日本が世界に誇る日本ビクタープレスであり音質面で英オリと遜色ないレベルに仕上がっていることも米国プレスヴァーティゴと並んで近年世界のオーディオファイルの注目を集める要因となっている。
72年に入って日本でもクリムゾン、イエス、ELP中心に英国プログレッシヴのムーヴメントが起こると日本フォノグラムでもヴァーティゴというレーベルの実験的指向に注目する。渦巻きヴァーティゴのレコードは世界中ありとあらゆる国で独自にリリースされたが日本ほど自国アーティスト中心に展開した例はなく、特に実験的作品が多く並んでいる点では正にプログレッシブ(ヴではない)レーベルの日本ヴァーティゴレコードと言えるだろう。
そしてヴァーティゴというレーベルを大々的に売り出す為に白羽の矢が立ったのは日本フォノグラムの大看板長谷川きよしであった。アルバムのみならず日本ヴァーティゴの第一弾シングルも長谷川きよしの「黒の舟唄」(ヴァーティゴFX−1)であり、レコード会社の期待を一身に背負っている。
『いにしえ坂』は長谷川きよしの5枚目のアルバム。それまでボサノバ、ラウンジ或いはビッグバンドジャズといった洒落たジャジーな雰囲気の音楽を得意としてきた長谷川きよしだが、ここではレーベルカラーを強く意識したアレンジを前面に押し出している。たおやかなフォークロック調の「かなしい兵隊」は6分を超える曲だがベースとギターが優しく淡々と紡いでいくメロディーに鍵盤の美しい音色が絡み静かに聴き手を引き込んでいく。その流れのまま少しポップな「コーヒーショップ」を挟んで無国籍ラテンギターがお洒落空間を描く「秋だから」、映画音楽のようなストリングスをバックにしたニルヴァーナライクなソフトロック「椅子」、ギターの音色が珠玉のメランコリックな口笛も聴ける「ティ・タイム」からパブロック調英語カヴァー「SEEMS LIkE A LONG TIME」までA面は英国SSWライクな端正かつ淡麗でありながら陰翳を充分に帯びた上質のロックに仕上がっている。
ここまででも充分な出来なのだが、海外のプログレッシヴロックファンに圧倒的な訴求力を持つのはプログレッシヴロック作品として出色の出来栄えを示すB面の素晴らしい完成度だろう。
重厚かつ陰鬱なオリエンタルムード全開の混沌としたイントロに導かれる「ダリオ ダリオ」はイラン歌謡のメランコリックな旋律が非常に印象的。続く「ハイウェイ」も玉木宏樹のエレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーしサマルカンドあたりのシルクロードを彷徨う駱駝乗り達の行程とキャラバン隊を見送る人達の日常的な大地の祈りの情景を描き出す。
イーストオブエデンの初期作品に代表されるように東洋に対する憧憬と畏怖の念はこの時代の英国プログレッシヴに多々見られるが、大月氏からペルシアへと繋がる中央アジアの沙漠を行き交った人達の血が日本人にも流れているのであろうが、ここでこうした音楽に表現される祈りのリアリティは英国人のそれを超えている。例えばクラーク・ハッチンソンのような高度にパッケージされた箱庭的オリエンタリズムの魅力も捨てがたいが。
キリスト教やイスラーム、仏教といったゾロアスター以降の宗教が持つ観念的なものでなく哲学や儒学の影響にも晒されていない原始的な祈りの記憶は地中海から中央アジア、そして日本では脈々と受け継がれていて、時折それは現代のポップ音楽の中にも突然神が降りたように再現される。
実際には当地でも特異とされるマリー・デル・マー・ボネットやマドレデウスに通底するような確かに人々の血液に流れる悠久の記憶を呼び覚ます音楽。ブラインド・シンガー長谷川きよしが幸運にも彼の音楽に出逢うことの出来た世界中の音楽ファンにこよなく愛される理由の一つだろう。
そのリアルな祈りの情念はトラッド曲「Black is the colour of my true love's hair」に沈々とシリアスに歌い込まれる。英語で歌われるこの曲、当時の日本にはネイティヴな発音という概念はないが、世界中の心ある音楽ファンなら誰でも些事に囚われずに胸に響くだろう。
日本ヴァーティゴレコードのアルバム第一弾としてレコード会社の入れ込みも強力であったことも十二分に伝わってくるが尺八をフィーチャーした終曲「古坂」を聴けば、当時国内の音楽事情では『宮殿』すら二年遅れで上陸するような右も左もわからない状況の中、未知の領域へ手探りで入っていった大和男達が、この時点でプログレッシヴロックを完璧にモノにしていたことがわかる。
その後多くの日本人プログレと云われる音楽が、ただ表層的な形態模写と自己満足に過ぎない技巧の表現に終始し余りにもコンパクト化した狭い次元の活動に陥っていったのは本当に残念でならない。
ただ、未だに日本人の作品というだけで日本ヴァーティゴレコードのタイトルに食指を動かす事を躊躇っているプログレ人には是非、先ずこのタイトルを聴いて頂きたい。日本ヴァーティゴのアルバム群は然程レアではなかったタイトルも含めて年々海外へ流出しており入手が難しくなっている。何故これまで漠然と日本でプログレッシヴロックという特異な音楽ジャンルが好まれてきたか。洋楽と邦楽を隔つ壁に阻まれ近年国内では過小評価されてきたフォークと一括りにされてしまった時代にあった良質のジャパニーズロックを知ることで、日本にプログレッシヴロックがしっかりと根を下ろしていった原点を再度確認してほしい。プログレの形態に囚われず、表層的な音楽ジャンルを超えてまだ出逢っていない本物のプログレッシヴロックを見つける大きなきっかけになるだろう。

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2008年08月10日 17:38に投稿されたエントリーのページです。

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