帰るのが大変だぁーGERMANY

 

ベルリンで楽しい4日を過ごしたあとには帰国が
待っていた。が、これから遠い道のりをたどる
ことになる。

            これは地下鉄の入り口。
               黄色いのはポスト。 →
      


私たちは夜行列車でベルリンからフランクフルトに移動し、翌日の昼のフライトで帰国する予定にしていたので寝台車に乗り込んだ。ここに思いも寄らぬアクシデントが発生。6人部屋の座席指定が二人のドイツ青年とダブルブッキングになっていたのだ。でもこれは青年が最上階に移ることで解決。問題はその後!車掌にチケットを見せたら指定席はあるが、特急券がないから払えという。駅でドイツマルクを使い切ってしまったので私たちの現金はすっからかんでないの!ここはなんとかベルリンの前に滞在していたイギリスのポンドで切り抜けた。

翌朝になんとかフランクフルト空港にたどり着いて、旧ソ連のアエロフロート機に乗り込んだ。やれやれ、あとは長いフライトとマズい機内食に耐えるだけさ♪…ところがそんな簡単には帰れなかったのだ。

アエロフロート機はヨーロッパからだと、いったんモスクワで給油のトランジットをしてから再び発つ。3時間あまりのフライトの後に空港に降り立ったのでモスクワかと思ったら、どうも知らない空港の様子(何度か乗っているので空港内を知っていた)。1時間あまり経ってわかったことは、どうもモスクワ上空の天候が悪く、手前の空港に降りたということらしい。しかもソ連の観光客と勘違いされて待合室に放置されてしまったようだ。間違いがわかった空港側が私たちを含めた何十人かを乗せてモスクワに向かったところ、私たちが乗り換えるハズだったフライトがとっくに去ったあとだった。ひいぃぃぃ!

   これはもっと後にリニューアルされたモスクワ
   空港内のフロアー。
   当時はもっと薄暗く、免税店もどうしようも
   ない位ひどいものだった。売っている品物の
   大半はソ連製品。ウォッカ、サーモン、
   キャビア、マトリョーシカ…!
   もちろん琥珀の装飾品や毛皮、帽子もアリ。

なんと私たちは空港の近くのホテルに1泊するはめになってしまった。しかも手荷物だけで。こういう事はよくあるみたいで手際がよすぎるところが恐い。もちろんホテル代は無料。国際電話のコーナーには多くの人が行列を作っていたが、かかりにくかったようだ。その日はパッタリ気絶。翌日の午前中に市内観光があったようだけど朝食の時間が来ても気絶続行。
お昼になってレストランに降りてみれば、いるはいるは、各国から集まったたくさんの日本人が。同席した商社マンはロンドンから来て足止めを食ったらしい。中には子供が病気だから日本へ一番早く着くフライトにしたのに、と嘆く親子もいてお気の毒だった。
余談だけど、このホテルには帰るに帰れず、何年もこのホテルにさまよっているという話があって笑えた。あるあるある、って感じだったんだものー。

 お昼はこんなメニュー。
  ハンバーグ、スープ、数種の黒パン、コーヒー。
  デザートにはレーズンアイスクリーム。
  とにかくでかいピクルスにはびびった。


昼過ぎにやっと空港に戻り、免税店のレジに手間取って乗り込むのが最後になってしまったのは、まあご愛敬。こうして私たちは1日遅れて帰宅の途についたのだった。

後日談:友だちの母は予定日に帰ってこない娘を心配して母に電話をよこしたそうだけど、母は
「まあそのうち帰ってくるでしょう」と答えたらしい。おいおい、そりゃないだろう。怒られるよ。普通の母親だったら空港会社や旅行代理店に電話くらいするだろう??